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2015年8月 7日 (金)

原爆記念日の夕食

涼しい間に出かけようと意気込んでいた朝ですが余りの暑さに外出を控えました。

家人に「買い物に行ってないので大層な物は出来ないけど良い?」と予防線を張っておきました。

ワインに合う軽い献立の出来上がりです。

写真: p1063296001

前日は焼肉だったのでこの程度で私達には良さそうです。

10種類のサラダ

写真: p1063274

卵、じゃがいも、セロリ、きゅうり、トマト、ズッキーニ、パプリカ、紫玉葱、ベーコン、缶詰アスパラガス

ホワイトアスパラガスの缶詰は底から開けます。

写真: p1063265

そのまま容器にそっとスライドして入れます。

写真: p1063268

こうすると先が潰れません。

茄子のフライ

写真: p1063279002

茄子ですがこれがメインです。

オイルサーディン

写真: p1063290

家人がお気に入りのオイルサーディン、今回は魚焼き用のグリルで焼きましたが正解でした。

オーブントースターより早く出来上がります。




広島に原爆が投下された日、テレビを見ていて戦争は二度と絶対、嫌!と思った8月6日でした。

70年前もきっと暑い日だったのでしょう。

海軍だった父はその日列車で広島に入ったと言う話を聞いた事がありますが辛く過酷だったことは口にしませんでした。

当時の記憶を皆墓場まで口をつぐみ胸にしまってこの世を去って行くのでしょう、戦争でPTSDになった国民に国はどう償ってきたのか?

家人とテレビを見ながら意見を交わしていましたが私が食事の後片付けをしている間に彼はリビングで眠りこけていました。

こんな平和な夜がずっと続いて欲しいです。

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コメント

マダムさん、おはようございます。
わたしも昨晩テレビで戦争の悲惨さを目にし平和の大切さを胸に刻んだところです。被曝された方が感情を抑制して話されていたので余計に胸に響きました。
来週は靖国神社に感謝の参拝に、もうすぐ20歳になる娘と行こうと思います。

投稿: ゆみりの | 2015年8月 7日 (金) 07時56分

ゆみりのさま
息子が小学生の時担任から「はだしのゲン」を借りてきて家族で廻し読みしました。戦後生まれの私は知らないことばかりでとても衝撃的でした。
夏休み家族で原爆資料館に行きました。
子供達に何か残せただろかと思います。

今こそ語り部のお話を伺いたく思います。

投稿: Mikageマダム | 2015年8月 7日 (金) 08時05分

結婚前の一人旅で長崎平和公園、広島原爆資料館へ訪れました。
一人では辛かったです。
神戸からドライブしたのですが長崎では不思議な体験をしました。
方向感覚は良い方なのですが車でも徒歩でも迷って同じ場所を何度も廻ったり。
他所には無い気を感じました。

広島原爆資料館には夫を誘っていて彼も行きたいのですがまだ心の準備が出来ないようです。

投稿: キャスリン | 2015年8月 7日 (金) 16時13分

キャスリンさま
ご主人様が原爆資料館へ行ってみようと思われた気持ちは尊重するべきですね、ショックが強すぎるかも知れません。

修学旅行で長崎へ行きました、自由行動で皿うどんを食べに行った帰り方向が分からなくなりタクシーに乗りました。土地勘がある私ですがやはり何かおかしいと思いました。

投稿: Mikageマダム | 2015年8月 7日 (金) 18時50分

私は広島大学に行ってました。大きな道路の向かい側は原爆病院という名前の病院でした。街はきれいできちんと整備されていました。原爆で何もかも破壊されたからです。あの頃はまだ被爆体験された方がたくさんおられました。平和公園も資料館も何度も行きました。いま、若い人や幼い人たちの未来が心配です。マダムのお孫さんたちが何としても巻き込まれることがあってはならないと思います。平和な毎日が恒久的に続きますよう。

投稿: shokola | 2015年8月 7日 (金) 19時01分

お久しぶりです。
父も少年特攻隊員として呉にいました。何回か出撃が決まり、その度に滑走路が爆撃されて延期になり、そうこうしているうちに8月6日を迎えたそうです。何もわからないまま広島に行かされて二次被爆。父と同じ部隊にいた人たちは全員被爆手帳を持っているとのこと。父は特に大した病気もしなかったので申請はしなかったようです。
子どもの頃特攻隊の話はよく聞かされましたが、原爆の話は聞いたことがなく、大人になってから父に経験を聞いても話してもらえませんでした。昨年(死を間近に感じるようになったのか)「本に残しておこうと思うから手伝え」と言われましたが、時間が取れないから無理と断りました。その後は言ってきませんが、父が本気なら、私も協力しなければと真剣に思っています。

投稿: ななこ | 2015年8月 7日 (金) 19時39分

7時間遅れですが、こちらスイスでも原爆のフィルムを
流していました。日本では決して出さない過酷なものを
こちらでは写すので初めは目を覆いそうになりましたが
現実は見たり聞いたりしなくてはいけないとつくずく
思いました。今の日本は怖いものを覆い隠し過ぎとおもいます。墓場迄持って行く前にみんなに本当にあったことを
話さなくては後の人は何も知らずに同じ間違いを犯すと思います。

投稿: 鈴木百子 | 2015年8月 7日 (金) 19時47分

shokolaさま
広島の道路は広いと思った記憶があります。

私達が学生時代の頃は反骨精神が旺盛でデモが盛んでした、やっと最近若者が自己主張するようになってきました。

子供達が勝手な大人の犠牲になることは絶対に嫌です。


投稿: Mikageマダム | 2015年8月 7日 (金) 21時06分

ななこさま
父は終戦翌日魚雷艇に乗る予定だったそうですが難を逃れることができました。
犠牲になった仲間達の事を思うと自分だけ・・・と申し訳無い思いだったでしょう。

戦争は殺人を強要される事です、断じて有ってはいけません。

お父様のお話を伺う良いチャンスですね。

投稿: Mikageマダム | 2015年8月 7日 (金) 21時11分

鈴木百子さま
日本では制約があり事実をありのままに映像として出せないのでしょう、海外の方が客観的に見られるのでしょうね。

政府も包み隠して法案を通すことばかりせず難しく回りくどい言い方ではなく誰もが分かるように説明する義務があると思います。

投稿: Mikageマダム | 2015年8月 7日 (金) 21時16分

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