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2016年6月28日 (火)

叔父夫妻とランチ

有料老人ホームに体験宿泊している叔父夫妻を誘って、彼らが好きな中華のランチです。

お店の方に「私の叔父です、90歳なのですよ」と紹介したら「僕未だ90になってないよ」と後2ヶ月余りで90歳になるにも係わらず彼なりのプライドがあるみたいです。

同じ事を台北で言っていた事を思い出しました。

現地の方のお招きで10人以上の円卓を囲み、私が「81歳の叔父ですと」紹介したら「未だ80歳です」と言っていました。

私のビール越しに見える若々しい姿は80歳の叔母です。

写真: img_7855

乳癌と甲状腺癌を手術、尚かつ心筋梗塞で頸動脈にステントを2箇所入れています。

90歳の叔父は大腸癌の手術後5年以上経過していますが、軽々と片足立ちが出来ます。

エレベーター内で両手を広げて片足出しをして見せてくれたので、私が整形外科の先生に言われたように「はい、そこからつま先立ち!」と言ったら「トォーシューズおくれやす!」と京都弁で笑わせてくれました。

腕を組み支えながら歩く仲良し後期高齢者です。

前菜

写真: img_7859

オーダーが終わった所で娘が駆けつけて参加しました。

カイランが無く空心菜炒め

写真: img_7860

飲茶3種

写真: img_7861

エビマヨ

写真: img_7862

叉焼麺と焼きめしで〆です。

デザートの時若旦那が仕事の合間に駆けつけてくれました。

叔父達が滞在していたチェンマイへ大きなお腹を抱えた娘達が逢いに行って以来の再会です。

「○○君しっかりしはったなぁ~」と叔母は言いますが、若者は7年経てば随分成長します。そして私達老いて行きます。


毎日を楽しく生きている叔父夫妻は私達の目標です。



疑問に思っていた事を叔父に聞いてみました。

叔父は芦屋の精道小学校で母は山手小学校なのです、姉弟でどうして違う学校に通っていたのか不思議でした。

大阪の堂島に家が有りましたが体の弱い陰気な叔父の為に入学は芦屋の家に住所を移し、三歳年上の母は転校する事になりました。

精道小学校を見学に行った母はお手洗いが気に入らず入学を拒否。

少し山手に有る祖母の家から越境入学していたと聞き納得しました。

戦前の山手小学校は下校時にはお迎えの車が列を成していたそうです。途中から校門前のお迎えは禁止となり、少し手前の空き家が丁稚達の待機場所になっていた様です。

私としては空想の世界でしかありません。

叔父からもっと昔の暮らしを聞かせて欲しいとの欲望に駆られています。

「なぜ戦争に行かなかったの?」と聞けば「ヒョロヒョウのひ弱やったさかい」と言いますが真相は如何に?




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コメント

叔父さまにお目にかかりたいです!まだマダムの近くにいてはるんですよね?チェンマイの話も聞きたいし、だんなつれて行こうかなあ。おいしい物お好きなんでしょう?


投稿: shokola | 2016年6月29日 (水) 00時11分

「精道小学校を見学に行った母はお手洗いが気に入らず入学を拒否。」

 上記の記述に マダムが以前書かれていたランドセルの記述や アリが好きというお話が パズルがピッタリはまり こういう反骨精神(この熟語はオシャレじゃないので マダムの趣味に反しそうですね。)が このブログで元気づけられる要素だと思いました。

投稿: | 2016年6月29日 (水) 07時15分

shokolaさま
金曜日まで居ますが携帯を持っていないので連絡が付きません。友人が訪れたら携帯をお借りして連絡してきます。
叔父は茄子とかぼちゃを食べたら「失神する」そうですが知らずにかぼちゃ入りのケーキをおいしいと食べていました。
最近英語を使わないから忘れたそうです。

投稿: Mikageマダム | 2016年6月29日 (水) 07時35分

名無しさま

母は筋の通った独特の考えを持っていました。女学生の時留学を許されず、その代わりにビビアンリーが着ているドレスをすべて作らせたそうです。
ドレスは毎日着ていたのでしょうかしら。
私も中学生の時ドレスをプレゼントされ着ていたら、同級生の男子が遊びに来てびっくりしていました。

投稿: Mikageマダム | 2016年6月29日 (水) 07時39分

おはようございます。

マダム様

素晴らしいおじさまおばさまですね
おばさまは乳がんをされても、お元気で素晴らしいですね
ぜひ乳がんの皆様の応援団になっていただきくらいですね。

又おじさまも素敵な事
お二人とも戦争などでご苦労されてると思いますのに
憧れです。

本当に何よりも、健康が一番
素晴らしいおしどり夫婦ですね。

朝から素晴らしいブログでした。

投稿: 前田和枝 | 2016年6月29日 (水) 07時52分

前田和枝さま
叔母は放射線治療と手術を受けましたが抗がん剤は拒否しました。術後15年以上経ちました。黄斑変性症で左目があまり見えないようです。

祖父も叔父も戦争に行っていなくて苦労話を聞いたことがありません。
ガソリンが無い時代どうしていたのかと聞いたらテニスコートに穴を掘って備蓄していたらしいです。
六甲山の別荘でビキニを着た母の写真を見た事もありました。

投稿: Mikageマダム | 2016年6月29日 (水) 08時26分

叔父様のお話、たくさんお聞きになっておいてくださいませ。
「戦前の裕福な家庭の暮らし」は、テレビの連続ドラマのようですね。
明治、大正生まれの義母の姉妹4人は京都の女学校へ行き、京都で親類兄弟と女中さんも一緒に一軒家を借りて青春時代を過ごしたそうです。
その時代の話を聞くのは本当に面白かったです。文才があれば小説が書けるかも、と思ったほど。
「八重の桜」の後半を亡き義母が見たら、思い出話がふくらんだことでしょう。
どんどん記憶が薄らいでも、女学校の校歌を自然と英語で口ずさんでいた義母でした。

投稿: matsko | 2016年6月29日 (水) 09時56分

亡母の生家は海運業で、小学校通学が容易なように乳母やお手伝いさん達と別宅で暮らしたそうです。多くの豪商や上流社会の子女達の幼少期有る有るですね。

「細雪」の世界ですね!

投稿: | 2016年6月29日 (水) 13時26分

matskoさま
母や叔父から聞いた話、見てきた祖父の事など、私にも文才が欲しいです。
話しても理解してもらえないようなお話が沢山あります。

叔父は友人宅へ居候、母の友や友人の友人など何人も実家に居候していた時代だそうです。
夕食は料理人が出張で居候の好みの物を調理して出していたんですって。

母も叔父も英語に不自由をしていませんでした。私は不自由です。

投稿: Mikageマダム | 2016年6月29日 (水) 16時16分

名無しさま
園遊会やゴルフ、競馬と両親は家に居ず、叔父たちは両親と顔を合わすことが無かったそうです。子育ては家庭教師と使用人任せです。
親が帰ってくるとの噂があれば友人宅へ家出したとか。

投稿: Mikageマダム | 2016年6月29日 (水) 16時21分

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